更新日:2026年3月4日更新
水間ロン(みずま ろん)が幼少期に母親へ向けて放った言葉、それは「日本人のママがいい」というひと言でした。
大阪の小学校でクラスメートとの「違い」を痛感していた幼い水間ロンが、中国人の母親を傷つけたこの言葉を、本人は2020年のインタビューで「今でも心が痛みます」と告白しています。
その告白の背景には、祖父のシベリア抑留・父の中国残留日本人2世というルーツ・19歳で父が倒れた日という、3世代にわたる家族史が深く刻まれていました。
この記事では以下の内容について詳しくご紹介します
- 父親のルーツ「残留孤児2世」とは何か
- 母親は何人でどんな背景を持つのか
- 祖父のシベリア抑留がアイデンティティに与えた影響
- 幼少期に母親に言った言葉とその後悔
- なぜ18歳から中国語を話すようになったのか
この記事を読み終えた頃には、「水間ロン」という俳優の名前ではなく、その生き方そのものへの共感が生まれているはずです。
水間ロンの父親・母親は何人?基本プロフィール
4分の3が中国、4分の1が日本のルーツ
水間ロンは、父親が「日本と中国のミックス(中国残留日本人2世)」、母親が「中国・大連出身の中国人」というルーツを持ちます。
本人はインタビューでこう明言しています。
「僕は父が中国の大連と日本のミックス、母が中国の大連人で、4分の3が中国人の血、4分の1が日本人の血です」
出典:cinemagical.themedia.jp(2020年3月21日)
「ハーフ」という一言では語り切れない。
3世代にわたる家族史の積み重ねの上に、水間ロンという人物は存在しています。
生まれは中国・大連、育ちは大阪
水間ロンは1989年10月28日、両親の故郷・中国大連で生まれました。
生後まもなく家族で大阪へ移住し、幼少期から学生時代のほぼ全期間を大阪で過ごしています。
母国語は日本語、話し方は生粋の関西弁。
しかし家の中では両親が常に中国語で会話していたため、「外では日本人、家では別の世界」という独特の感覚が幼い頃から育まれていきました。
父親のルーツ——3世代の家族史
父親は中国残留日本人2世
水間ロンの父親は「中国残留日本人2世」です。
終戦後、多くの日本人が満州(現・中国東北部)に取り残され、帰国できないまま現地で生活を続けることを余儀なくされました。
水間ロンの祖父もその一人で、終戦後にシベリアへ抑留された歴史を持ちます。
祖父はその後中国に残り、中国人女性と結婚。
その子として生まれたのが水間ロンの父親であり、父親はいわば「歴史の狭間に生まれた人物」でした。
なお父親本人の氏名・年齢・現在の職業については、水間ロン本人を含めて公式に公表されておらず、詳細は確認できていません。
18歳で中国語を話し始めたきっかけ
水間ロンは18歳になるまで、家庭内で中国語が飛び交う環境にいながら、意識的に中国語を使わないようにしていました。
転機は、祖父がシベリア抑留を経て中国に残留した歴史を知った日です。
「祖父は何を感じながら生きていたのか」——その問いが、彼を中国一人旅へと駆り立てます。
現地で出会った人々との交流の中で言葉の壁を痛感し、そこから中国語を猛勉強。
18歳以降、水間ロンは日中バイリンガルとして自らのルーツと向き合うようになっていきます。
水間ロン 母親への衝撃の一言
幼少期の一言と、今も消えない後悔
水間ロンが主演した映画『燕 Yan』には、ある心に刺さるシーンがあります。
日本で暮らすハーフの幼い主人公が、母親に向かって泣きながらこう叫ぶ場面——「日本人のママがいい」。
このセリフは、脚本だけの言葉ではありませんでした。
水間ロン本人が、まったく同じ言葉を幼い頃に実の母親へ向けて言ったことがあると告白しています。
「実は幼かった頃、僕も母に(日本人のママがいいと)同じ言葉を言ったことがあるんです。母を傷つけたことに、今でも心が痛みます」
出典:産経新聞iza(2020年5月19日)
大阪の小学校で「自分の家族は周囲と違う」と感じ始めた幼い水間ロンにとって、中国語で話す母の存在は、自分が「違う子」である証明のように映っていたのかもしれません。
あの一言を発した日から何十年も経た今もなお、彼はその言葉を忘れられずにいます。
19歳・父が倒れた日
幼少期に「中国を嫌っていた」と語る水間ロンが、自分のルーツと本格的に向き合い始めたもうひとつの転機があります。
19歳のとき、父親が倒れたという出来事です。
父の存在が揺らいだ瞬間、水間ロンは初めて「自分は何者なのか」という問いを正面から受け止めました。
それまで「見ないようにしてきた」中国のルーツが、急速に切実な問題として浮かび上がってきたのです。
この経験が、18歳からの中国語習得や一人旅という行動を後押しする、静かな導火線になっていったと考えられます。
俳優・水間ロンを生んだ両親の影響
ジャッキー・チェン好きの両親が俳優の原点
水間ロンが俳優を志した原点のひとつに、両親の共通の趣味があります。
両親はともにジャッキー・チェン映画の大ファンで、幼い頃から自宅でジャッキー・チェン作品を繰り返し観る環境がありました。
中国と日本、二つの文化が交差する家庭の中で、国籍も言語も超えてスクリーンで輝く「スター」の姿を幼いころから目に焼き付けてきた。
それが、水間ロンが「俳優になりたい」と思うようになった感情の土台になっています。
家庭内言語は中国語——日中の狭間の幼少期
水間ロンの家庭では、両親同士は常に中国語で会話していました。
しかし水間ロン自身は親と話すときも日本語を使い続けていたため、「話しかけるときは日本語、返ってくるのは中国語」という独特のコミュニケーション環境が日常でした。
「父親はミックスと言っても完全に中国育ちなので、両親ともに日本語は片言で、両親同士は中国語で会話をしていました。兄と僕は、親と喋るときも日本語で話していたので、中国語の聞き取りはできましたが、喋ることはできませんでした」
出典:cinemagical.themedia.jp(2020年3月21日)
この発言から、水間ロンには兄弟(少なくとも兄)がいることがうかがえます。
ただし兄弟の詳細(名前・年齢・現在の活動など)については公式な情報が確認できていないため、現時点では明記を控えます。
水間ロンの両親についてよくある質問
Q1:水間ロンの父親は日本人ですか?
A:日本と中国のミックス(中国残留日本人2世)です。
祖父が戦後中国に残留した日本人であるため、父親は「中国で育った日本人の子」という立場になります。
水間ロン本人に流れる日本の血は4分の1。日中のダブルルーツを持つ父親の、さらに子である——という3世代にわたる家族史が背景にあります。
Q2:水間ロンの母親は何人ですか?
A:中国・大連出身の中国人です。
父親も大連にルーツを持つため、両親ともに大連とのつながりがあり、水間ロン自身も大連で生まれています。
母親の詳細なプロフィール(氏名・年齢・職業など)は現時点で公式に公表されていません。
Q3:水間ロンは中国語を話せますか?
A:話せます。
幼少期は聞き取りはできても話すことができない状態でしたが、18歳頃に祖父のルーツをたどる旅をきっかけに猛勉強し習得しました。
現在は日中バイリンガルの俳優として、中国語が必要な役でも存在感を発揮しています。
Q4:水間ロンの兄弟はいますか?
A:本人のインタビュー発言から「兄」の存在がうかがえますが、詳細は公表されていません。
本人のコメントの中に「兄と僕は」という表現があり、少なくとも兄が1人いる可能性が高いと考えられます。
氏名・年齢・活動などの詳細情報は現時点で確認できていないため、確定情報としての明記は控えます。
まとめ
- 父親は中国残留日本人2世(祖父が戦後シベリア抑留を経て中国に残留した歴史を持つ)、母親は中国・大連出身の中国人
- 水間ロン本人が「4分の3が中国の血、4分の1が日本の血」と明言している
- 幼少期に母親へ「日本人のママがいい」と言ったことを、2020年のインタビューでも「今でも心が痛む」と語っている
- 19歳で父が倒れたことが、アイデンティティと正面から向き合う転機になった
- 俳優を志したきっかけのひとつに、両親がジャッキー・チェン映画を愛していた家庭環境がある
水間ロンの家族史は、日本の近現代史(シベリア抑留・中国残留日本人)と、「自分は何者か」と問い続けた一人の人間の成長物語が重なっています。
スクリーンで彼が見せる「言葉にならない感情の揺れ」が多くの人の胸に響くのは、偶然ではないでしょう。
祖父の時代から続く「どこにも完全には属せない」という感覚を、水間ロン自身が身をもって生き抜いてきた——その経験の蓄積こそが、俳優としての表現力の核心を形成しているのだと考えられます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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