更新日:2025年11月08日更新
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の熱血教師役で一躍注目を集めた皆川猿時さん。
現在は大人計画を代表する個性派俳優として活躍していますが、若い頃は同じ劇団の阿部サダヲさんとはまるで異なる道のりを歩んでいました。
阿部さんが入団半年でテレビデビューを果たした一方、皆川さんは借金返済のバイト生活と挫折の連続。
2年遅れで入団した俳優が、なぜ今の地位を築けたのか。
その答えは、若い頃の苦労と転機にありました。
阿部サダヲは入団半年でテレビデビュー

1992年、22歳で大人計画に入団した阿部サダヲさんは、入団後すぐに頭角を現しました。
同年、舞台『冬の皮』でデビューすると、わずか半年後には大きなチャンスが訪れます。
先輩俳優の温水洋一さんが病気で降板したため、代役として『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』でテレビデビューを果たしました。
入団から半年も経たずにテレビ出演という、異例のスピード出世です。
1992年、舞台『冬の皮』でデビュー。同年には病気で降板した温水洋一の代役として、入団から半年経たずして『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』でドラマ及びテレビデビューを果たす。
オーディションを受けたきっかけも、友人の勧めや「30になったらいい役者になるよ」という言葉が蓄積され、職を転々としていた時期に「一度やってみてもいいかな」と思ったからだそうです。
比較的軽い気持ちで飛び込んだ演劇の世界で、持ち前の才能を開花させていきました。
阿部さんの俳優人生は、まさにスタートダッシュ型だったと言えるでしょう。
皆川猿時は渡辺美奈代への憧れで上京

出典:X(旧Twitter)
一方、皆川猿時さんの若い頃は、苦労と挫折の連続でした。
1989年、18歳で福島県いわき市から上京した皆川さんには、明確な目標がありました。
中学生の頃に大ファンだったおニャン子クラブの渡辺美奈代さんと共演したいという夢です。
「自分も俳優になれば、美奈代ちゃんと共演できるかもしれない!」
そんな純粋な憧れが、俳優を目指すきっかけとなりました。
高校3年生の時、学校の図書室で『役者になるには』という本を見つけ、巻末に載っていた劇団の住所を頼りに上京を決意します。
大学に通う兄や友人の部屋を転々としながら、いくつものオーディションを受け続けました。
東京乾電池のオーディションに合格し研究生になりましたが、ここで現実を思い知ることになります。
見通しの甘さと厳しい現実

「思ってたのと全然違う!」
何の予備知識もなく、生の舞台を見たこともなかった皆川さんは、チャラチャラした世界を想像し、テレビにすぐ出られると考えていました。
しかし、発声やダンス、即興芝居の厳しい稽古が待っていました。
バイトで生活費を稼ぎながらの研修は、想像以上につらいものでした。
さらに、演出家の岩松了さんに失礼な態度を取ってしまい、スリッパで叩かれる事態に。
「田舎に帰れ!」と言われ続け、結局劇団員にはなれませんでした。
研究生の集大成である卒業公演の稽古で、演出家の岩松了さんに失礼な態度を取り、スリッパで引っぱたかれ、それからは「田舎に帰れ!」と言われ続けました。結局、東京乾電池には残れませんでした。
出典:日本経済新聞(2023年10月17日)
この時点で、阿部サダヲさんは大人計画に入団し、テレビデビューも果たしていました。
2人の道のりは、大きく分かれ始めていたのです。
22歳の記憶がない1年間

劇団に残れなかった研究生仲間と組んで、自分たちで台本を書き3本の自主公演を打ちました。
しかし、うまくいかず借金を背負うことになります。
22歳の皆川さんは、芝居でできた借金を返済するために、新宿の串焼き屋「串タロー」で週6日、1日12時間働く生活を送りました。
22歳の時なんか、バイトしてた記憶しかないです。新宿の串焼き屋さん「串タロー」で週6日、一日12時間ぐらい働いてましたね。
出典:日本経済新聞 (2023年10月17日)
楽しいことなど何もない、ただ毎日のノルマをこなすだけの日々。
皆川さん本人が「記憶から、22歳の時の1年間が、すっぽり抜け落ちている」と語るほど、無味乾燥な時期でした。
追いつめられていたのは18歳の研究生時代の方だったかもしれませんが、22歳の借金返済期間は記憶が抜け落ちるほどだったのです。
この時期、阿部サダヲさんはすでに俳優としてのキャリアを積み始めていました。
意地と頑固さで掴んだ24歳の合格

それでも皆川さんは諦めませんでした。
「なんとかして役者になりたい!」という意地と、割と頑固な性格が支えになりました。
親には「30歳になるまでは大目に見てほしい!」と宣言していたそうです。
末っ子気質で自分に甘い性格だったと、皆川さん自身も振り返っています。
串タローでバイトに明け暮れていた時期にも、舞台だけはいろいろと見ていました。
笑いを求めて劇場に通う中で、大人計画は別格でした。
ダークで尖っててカッコよくて面白かったのです。
1994年、24歳の時に大人計画のオーディションのチラシを見つけて、何の迷いもなく受けました。
そして、合格。
阿部サダヲさんの入団から2年遅れで、皆川さんはようやく大人計画の一員となりました。
大人計画のオーディションのチラシを見つけて、何の迷いもなく受けました。ラッキーでしたね。
出典:日本経済新聞(2023年10月17日)
入団後も続いた苦悩
大人計画に入団できたものの、そこからも苦労は続きました。
何よりもつらかったのは「どうやったら面白くなるのか」が自分では分からないという状況です。
松尾スズキさんからの「後ろにぶっ倒れろ」「真横に跳べ」「パイプ椅子の隙間に飛び込め」など、めちゃくちゃな演出に応えるのが精一杯でした。
「これって本当に面白いのかしら」と疑問に感じながらも、必死にしがみついていました。
公演本番の2週間ほど前から稽古に集中すると、逃げ場がなくなって逆につらくなります。
本当につらくて「田舎に帰りたい!」と毎回思っていたそうです。
阿部サダヲさんが順調にキャリアを積んでいく一方で、皆川さんは入団後も苦悩し続けていました。
同じ劇団にいながら、2人の歩みは大きく異なっていたのです。
31歳バイト卒業と体重増加の転機

転機が訪れたのは31歳の時でした。
20代後半には映像の仕事も徐々に増えてきて、バイトをしなくても生活できるくらいにはなっていました。
でも、皆川さんは串タローが好きで、楽しいから続けていたのです。
いつの間にか最古参のバイトになり、正社員とギクシャクしてきたため、バイトを辞めることにしました。
すると、急に太り始めたのです。
体力的にも楽になり、食べる量もどんどん増えて、どんどん太っていきました。
宮藤官九郎さんから「太れ」と言われても太れなかったのに、バイトを辞めたら自然と太ったのです。
太ったら「もうカッコつける必要ないじゃん!」と吹っ切れました。そしたら、ちょっとずつお客さんにウケるようになったんです。
出典:日本経済新聞(2023年10月17日)
パンクコントバンド『グループ魂』での港カヲルというキャラも認知され、さらに楽になりました。
体重増加が、皆川さんの俳優人生を好転させる大きな転機となったのです。
カッコつけることを手放した瞬間、皆川猿時という俳優の個性が開花しました。
2人の違いが生んだそれぞれの強み
阿部サダヲさんは入団半年でテレビデビューを果たし、順調にキャリアを積んでいきました。
一方、皆川猿時さんは18歳から24歳まで6年間の挫折を経験し、入団後も31歳まで苦悩し続けました。
2年遅れで入団し、開花するまでにさらに時間がかかった皆川さん。
しかし、この苦労の時間こそが、皆川さん独自の強みを生み出しました。
借金返済のために週6日12時間働いた串タローでの経験は、人間観察の機会となりました。
様々な客と接し、様々な人生を見てきた経験が、演技の幅を広げたのかもしれません。
太って吹っ切れたことで、カッコつけない演技ができるようになりました。
これは、阿部さんとは異なる個性派俳優としての道を開きました。
大河ドラマ『いだてん』で共演した際、皆川さんは阿部さん演じる田畑政治について「まーちゃんはすごい人なんだ」と熱く語る場面を演じました。
好きすぎて、うまく伝えられないという役柄でしたが、これは皆川さんの阿部さんへのリスペクトそのものだったのかもしれません。
2年遅れで入団した後輩が、先輩への尊敬を持ちながら、自分なりの道を切り開いていく。
それが、皆川猿時という俳優の歩みでした。
阿部さんとは真逆の道のりを歩んだからこそ、皆川猿時という唯一無二の俳優が誕生したのです。
まとめ
皆川猿時さんの若い頃は、阿部サダヲさんとはまるで異なる道のりでした。
阿部さんが入団半年でテレビデビューを果たした一方、皆川さんは18歳から24歳まで6年間の挫折を経験し、2年遅れで入団しました。
22歳の時には借金返済のために週6日12時間のバイト生活を送り、記憶が抜け落ちるほどの苦しい時期を過ごしました。
入団後も31歳まで苦悩は続きましたが、バイトを辞めて太ったことで吹っ切れ、カッコつけない演技ができるようになりました。
この苦労の時間が、皆川さん独自の個性派俳優としての強みを生み出したのです。
阿部さんとは真逆の道のりを歩んだからこそ、皆川猿時という唯一無二の俳優が誕生しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント